世田谷の民話

矢沢川の渓谷
矢沢川の渓谷

■矢沢川と河童の三郎

その年は、春から雨の多い日が続きました。立夏になると早くも梅雨に入り、激しい風が世田谷の村々をおそいました。谷沢川沿いの用賀、野良田(中町)、野毛、等々力でも川の水かさが増し、いつ溢れるかと村人達は心配顔でどんよりと空を見つめるのでした。

 (つづく) 

困っているのは村人だけではありませんでした。この川筋に住んでいる河童の一族も、増水した水に川底をさらわれて、住処を流されてしまったのです。河童は仕方が無く、野良田と等々力村の境の崖下に穴を掘って退避をしていました。


6月の中旬のこと、雨が降り続く中、等々力村の娘ツヤがお使いの帰り道に谷沢川の土橋(丸太で橋を作る。そうすると、丸太と丸太の間に凹みができる。そこに土をかぶせて平らにした橋)を1人で渡りかけていました。ところが、雨水で重くなっていた土橋は真二つ折れて、娘は濁流に飲まれてしまいました。   

この音を聞いた河童たちは、急ぎ激流に中に潜り、手分けして娘を探し回りました。

 

溺れた娘を助け出したのは、河童の主の三郎でした。さっそく三郎は、仲間の河童たちに手伝ってもらい住処の穴に運び入れて、火をたき娘の着物を乾かして手厚く看病をしました。

 

ツヤが目を覚ますと河童たちは喜んで、おも湯や秘薬を与えて元気をつけさせた。「よかった。よかった。谷沢川の河童は人に悪さはしない。それがおいらの掟だよ」ぽつりと河童の主が言いました。

用賀、野良田、野毛、等々力の河童もうなずいて、娘の顔に紅がさすまで温かく見守り、手厚く介抱したのです。

 

2日ほどたった夜遅くに、三郎を先頭にした河童たちは、村人に会わないように、等々力の河童を道案内に、娘を代わる代わる背負い両親の元へと送り届けましたとさ。

 

【参考資料】 せたがやの民話と伝説

 

*矢沢川は、世田谷区桜丘五丁目付近の湧水を源流とし、上用賀地内の複数の湧水を合流して中町、上野毛周辺を経由して等々力付近の国分寺崖線を流下し、野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差、玉堤で多摩川に合流している。 東京都世田谷区を流れる多摩川水系の一級河川である。